さて、軍艦島について、日記を書きます
ちょっと細かくなるかも&同じ様な写真が沢山出ますので
興味のない方は完全なるスルーをオススメします・・・。
まず、軍艦島に上陸するには、それ専用の船に乗る予約を
する事から始まります。
僕達が乗ったのは「やまさ海運」という会社の船。
軍艦島でネット検索するとまず、この会社が出てきたので
迷わずここに決定!
しかし、後に他にも数社、軍艦島クルージングをやってる事が発覚!
ま、不満はありませんでしたが。4歳の子供も同行だったので、
幼児は上陸できないとの決まりがあったので、
子供は船内待機で、ヤヨイ氏と交代で上陸しました。
ちなみに幼児の上陸禁止をしてるのはこの会社だけで、
他の会社は幼児オッケーでした・・・(ちょっと複雑・・・)
さて、いよいよ本題に参りましょう・・・
長崎港から午前9時の便で出発しました。
月曜日だったので、人も少ないかな?と思いましたが
意外な人の多さにビックリ!
船に乗る前に誓約書を提出します。(ネットからプリントアウトします)
これを提出しないと、軍艦島にはいけません・・・。
ちなみに乗り込んだのはこんな船・・・
2階にも席があります。(但し、外です)
そして、軍艦島まで数10分・・・。
途中で、船内から見える長崎の名所みたいなモノの説明があります。
これもまた興味深いモノでした
船に揺られ、段々と、憧れの軍艦島が我がマナコに!
これがファーストコンタクト・・・。
写真中央、奥側に見えるのが軍艦島です。
この時から既に、僕のドキはムネムネ
さて、ここからは画像中心になります。
ちなみに次の写真の右側の建物(30号棟)は
日本で初めての、鉄筋コンクリートによるアパートなのだ。(大正時代!)
次の写真から見てとれる様に、人口の異常な多さと、
島の異常な狭さ故に、高層マンションが所狭しと乱立してます。
次の写真は小学校と中学校が一つになったもの・・・。
本来ならこの高さの校舎は認められないが、
島の特異な性質上、特別に認められたらしい。
ちなみに、保育園も高層に造られていた。
これもまた、軍艦島の保育園のみの特別な措置らしい。
次の写真は島に唯一あった神社跡の祠・・・。
最後の写真は、軍艦島から約1km離れた場所にある中之島。
ここも以前、炭鉱が行われていたが、すぐ閉山し、
軍艦島の島民が訪れる公園の役割をしたり、
軍艦島には火葬場がなかった為、
この島まで遺体を運んで、火葬していたらしい。
・・・・・・・・・・・・・・・
写真多すぎですね(笑)
でも、実際僕が撮った写真はこれの何倍もあります(笑)
ちなみに、上陸して、見学できる範囲は限られていて、(しかも柵もあります)
工場側しか見られません・・・。
どちらかといえば、住宅側を見たかったのですが、
無人島になり、30年以上経っているので経年劣化が激しく
とても危険なので、立ち入りは絶対できません・・・
でも上陸後に島を一周してくれるので、海側からは
巨大マンション群を見る事は可能です。
もう大興奮です
昭和49年に閉山し、無人島になってるから、ほぼ手つかずの状態で
放置されていたので、
島の空気はまさに昭和49年のままといっても過言ではないと思います。
だから、なんか、切ない様な、懐かしい様な、
なんとも言えない感情で胸がいっぱいになります・・・
完全に僕は軍艦島に恋をしてしまった様です(笑)